会社に泊まった翌日から、のどが痛い。もともと扁桃腺が弱いのだけど、のどが痛い。ということで、風邪を引いてしまったようだ。タバコなんぞ吸ってはいけないのだが、それとこれとは話が別(一緒です)なので、いつものように。
その昔、某所にBB○S(○は伏せ字、念のため)というのがあった。そこではアカデミックな議論が行われていた、と思う。今から10年近く前の話だから、オレにはついて行けない話ばかりだった。今ついて行けるかどうかは疑問だが。誰でもIDを取得することで接続を認めてもらえた(オレは、あるところからひょんなことでつながってしまった。そこから、今の堕落した生活につながっていくのだが。
テーマによりいろんな話題があった。当時からアニメのカテゴリだけは人気があったが、オレにはついて行けなかった。もちろん、アニメであるかどうかの問題ではなく、コミュニティができあがっていて、それに対してどう接してみればいいのかわからなかったから。
しょうがなく(というか、まぁいいだろうと思って)、ご挨拶の文章を載せてみた。今ならブラウザ系の話になるのだろうが、当時は「メールの添付ファイルは必ず圧縮すること」、「文字コードはきちんと統一してから送ること」、とまぁ、今からみれば作法の厳しい世界。無礼にならないように挨拶をしたところ、当時最年少だったと人づてには聞いているが、コミュニティの常連さんからみれば、オレは間違いなく若かった。同い年は誰もいなかったし。
設置場所がある程度のコミュニティを持っていることもあって、参加者の範囲も、どう考えても半径数キロだった。その後、その場所を離れていった人もいたのだろうが、ネットワークはその距離を感じさせなかった。いずれにしても、今のSNSの原型が、ここにあった。しかも、おもしろいことに「誰からも紹介されることなく、自分で参加できるコミュニティ」だった。もっとも、見つけるのには苦労するから、簡単には見つからないのだが、その先にはオレの人生を変えるような世界が待っていた。
オレにとって、そのコミュニティで行われていた議論は、知的な衝撃だった。そう、オレの人生で初めて「議論」というのを見たような気がする。事実を組み立て、それに考察を加えた上で、相手に反論する。その事実が誤っているのではなく、考察が誤っているという指摘と、その考察に対する補足が繰り広げられていく。事実が誤っていれば、容赦なく攻撃される。そんなコミュニティに、オレは日参した。
常連、というのはおこがましいが、出入りして、名前が知られるようになると、いろんな所に知人が増えた。普通の人なら知らないような所だって、普通の人なら行かないような場所だって、オレには身近に覚えた。当時のオレには、何よりもおもしろい「知的な衝撃」だった。
そして、今、SNSの世界をのぞいてみたところで、世界が広くなりすぎているのか、そういった議論がない。知的な衝撃を求めること自体が誤っているのか、それとも、出会いを求める以上のことは、今のSNSではいけないことなのか。
3ヶ月ほど使ってみたが、他人が多すぎる。みんな知っている人じゃないと、という意味ではない。ある程度制限された世界で、初めて人間関係が成熟する、と思う。今のままでは、希薄なままだ。では、希薄な人間関係をどうするか、という問いに、答えは出ていない。
前にも書いた記憶があるのだが、「ともだち」という言葉に抵抗を感じる。だから、オレは「ともだち」を使うことがない。どうしても、という場合も、できるだけ他の言葉を使うようにしている。個人的な思いこみといわれればそれまでだが、自分がそう思っていても、相手がそう思っているとは限らないわけだし、なにより、一方的な言葉のようにしか思えない。オレには、そんな恥ずかしい言葉は使えない。
オレから「ともだち」と一方的なおこがましさを押しつけるようなことはしたくないが、オレのことを「ともだち」といってくれるような人を、大切にしたい。
新人さんがやってくる季節。絶対に手を抜かないで、自分のために、自分の信じるところを突き進んでください。多少、泥臭いところがあるかもしれません。多少、もっと効率的な方法があるかもしれません。でも、泥臭いところには絶対に手を抜かないでください。仕事にスマートさを追いかけるのは大切です。でも、泥臭いところが抜けた状態では、スマートな仕事は絶対にできません。効率的な仕事は、臆せずに周りに言ってみましょう。それを聞いてくれるかどうかは別として、自分でも実践してみましょう。それで周りを巻き込んでいくことも、必要です。新しい風を吹き込むこと、それが新人さんに求められていることです。
そして、新人さんとしてではなく、組織の一員として求められていることもあります。お客様の前にでれば、それは新人ではなく、一員として、組織を代表していることを忘れないでください。
と、新人の頃に言われました。
トラックバックしようとしたら、「リモートホストとサーバ名が違います」と怒られてしまった。ショック。オレのブラウザ経由じゃないと送れないのは、オレのコーディングが甘いから。オレの持っている技術なんてそんなもん。
まったく花粉を感じない。ということは、今年も花粉症を乗り切ったのだろう。当分は大丈夫です。根拠はないけど。
ナンバーディスプレイを付けていて、電話機の機能を使って非通知はお断りしているのだけど、カチカチと、着信の気配。が、ベルが鳴らない。ということは非通知電話だ。なんだかなあ。
アクセスログが急激に伸びているのだけど、誰か特定の傾向が、ログのサマライズ結果からは読み取れない。何があったというのだろう。謎だ。
歩いて30分くらいなのに、なかなか出かけたことのない帝釈天に出かける。歩いて30分。散歩がてらにちょうどいい距離。ということで、花見をしながら。
通りすがりに、公園の桜がきれいに見えたので、帰りに寄ることにしつつ、てくてく。30分ほど経ったところで、地図も見ずに方向感だけで到着。近所までは行ったことがあるし、何をしなくても柴又駅に向かって歩けば、それでいいのだと思って。お約束の寅さんです。はい。で、参道を歩く・・・・と、今日の日差しがきつすぎる。ううむ。ちょっと暑いかな。と、参道はそれほど歩くことなく、数分で帝釈天の入り口。早速お参り。中に博物館のようなものがあるようなのだけど、それはまた別の機会にして、今度は参道を逆に歩いていく。
あれ?とらやってこの辺じゃなかったっけ?違ったかな?と思っていたら発見。映画に出てくるのとは違うようだが・・・とおもったら、建て替えたと書いてある。なるほど。で、団子を買わないと、何しに行ったのかわからなくなってしまうので、団子を買う。16個の箱詰めで600円。まぁ、記念みたいなものだから(+1人暮らしだから)、一番安いのを購入。それをもって、駅まで戻ってきたところで電話がかかってきた。のどが渇いていたので、お茶を飲みながらの電話。
また、さっきの道を戻る。あまりにもきれいな公園の桜を写真に撮る。このアングルからも撮る。そして、川に流されていく花びら。
写真館でした。
メールはこちらへ...[sugaken (sugaken @(at) sugaken .(dot) com)]
この日記は、GNSを使用して作成されています。