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2004/10版 その3



2004/10/21 (木)


2004/10/22 (金)


2004/10/23 (土)

地震、雷、火事、オヤジ、そして台風。

頭が痛くて寝ていた。と、揺れる気配。洗濯機は回していないし、回していても部屋全体が揺れるような部屋ではない。うーむ。またも地震か?震度4くらいか。ヨコにひどく揺られる。初期微動と主要道が明確に感じられる段階で、おそらく震源は東京ではないということはすぐにわかった。

すると、(まもなくくると言われている)仙台か、(つい最近地震のあった)茨城か、(ついに)東海地震なのか?

そんなことを考える前に、オレにはやることがあった。そう、ラジオのスイッチを手動に切り替えることである。切り替えなかった場合の悲劇(9/6ブログ 深夜の独り言)を真っ先に考えた。そして、無事に大音量を上げることはなくなった。スイッチをラジオに切り替える。新潟?震度6強??

寝ぼけた頭で時計を見た。6時前。夕暮れ時、食事の支度をしている時間帯かもしれない。大丈夫なんだろうか。原発だってあるし、新幹線だって走っている。新潟の港はいろんな国の船が来ているではないか。とはいえ、頭が痛い(だから寝ていたのだが)。しばらく、ラジオを聞いていることにした。

と、新潟から中継中というラジオが強い揺れを指摘している。とんでもないスピードでその揺れは東京までたどり着いた。大きな揺れだと言っていたが、東京でも一発目より大きな横揺れを感じる。

大小取り混ぜて、揺れは何度もやってくる。きっと今日これからもやってくるのだろう。火を使う料理はすべてやめて(なにより、頭が痛くて食欲がないのだ)、ゆっくりと眠り込んでしまうことにしよう。

名前の付いていない地震だが、一刻も早く普通通りの生活が取り戻せますように。



2004/10/24 (日)

準備するものはなんだろう?

毛布がない、という。水がない、という。日頃の備えがなかったのか、それとも備えたモノを取り出せないくらいに地震が大きかったのか?

家屋が倒壊しているのは山間部のように見えるが、都市部の体育館で「何も食べていない」というのは、家財が散乱して、備えた食料や水が取り出せなかったのだろう。でなければ、市民の6割以上が避難する、という事態は想定できない。そうすると、我々がしなければならないのは、何があっても取り出せる場所に、食料や水を確保することなのだろう(車の中とか、頑丈な箱の中とか)。

トイレがない、という。暖がとれない、という。これはわかる。一刻も早く何とかしてあげなければ。(テレビクルーを10人よこすなら、水の入ったポリタンク1個でも持って行かないのか?)

ヘリも飛ばしすぎだ。現場の航空管制がそれでなくても大変なのだから、共同取材にでもすればいいのに。なにを他の報道機関より速く、と思っているのだろう?本当に優先されるべきは、人命だと思うのだが。

171の使い方をきちんと教えていたテレビ局は、見た限りでは1社だけ。なぜ、そんなにも地元の自治体の役場に電話して、彼らの情報収集を妨げるのだろう?「今電話が鳴っていてもでられないのでよく分からないのですが」と、至極当たり前のことを答える職員に、「どうもありがとうございました」と、中途半端に終わらせてしまう。本当に必要なことがわかっているのだろうか?(それとも、オレの意識がずれているのだろうか?)



2004/10/25 (月)


2004/10/26 (火)

するべきこと

まぁ、いつものことだが、疲れている。眠い。寝ているような感覚がない。でも、そう思っているだけなのだろう。その証拠に、電車に乗って気が付くと、口を開けてぐっすり寝ている。自分の中での睡魔というのが、一瞬で眠りに誘ってしまうのだろう。

だから、いつも浅い睡魔が襲っている感覚。ふらふらとも違う。めまいなんていう大仰なモノでもない。

今日は難しいことを書かずに、とっとと寝ることにしよう。



2004/10/27 (水)


2004/10/28 (木)


2004/10/29 (金)


2004/10/30 (土)


2004/10/31 (日)

人間性が露骨に見える瞬間

与えられた状況の中で的確に判断して、柔軟に行動できる人というのが、なかなかいない(自戒も含めて)。まず動くこと、そして柔軟に動くこと、的確に動くこと。この3原則がなかなかうまくできない。プログラムを与えないと動かないコンピュータみたいに、誰かの指示を待ってしまう人、空回りしてしまう人、全然関係ない方向に動いてしまう人。指示を出すにあたっても、当然、他の人の動きを見ないといけない。なにも単独行動とか独裁行動がよいとは言っていない。周りの意見も状況に含めて、的確に判断できる人は少ない。

そして、この問題が大きく見えてくるのは、「何かが起こったとき」。つまり、地震災害しかり、イベントしかり、トラブルしかり。つまり、その人がもっともよく(時には露骨に)見えてしまうとき以外は、それほど重要なことではないのだ。

となると、訓練することもなかなか難しい。自分で気が付いたとしても、自戒の行動に移せるのがいつの日になるのかもわからなければ、どうやって訓練すればいいのかもわからない。普段から気に掛けておかないと、できることもできなくなると言うことなのかもしれない。




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この日記は、GNSを使用して作成されています。