日本語が乱れている、という。ら抜き言葉、半疑問系アクセント、「〜じゃないですか」表現などなど、これまでにない表現をもって、どうも「乱れている」と言いたいらしい。それを言い始めたら、二葉亭四迷に始まる言文一致運動の段階で、「書き言葉は乱れている」ことになっているに違いない(言文一致についての解説)。言文一致は当時の社会の風潮ではないか、今の乱れはそんな風潮を通り越して、一部の目立つ人々が勝手に乱しているだけではないか、という議論もあるかもしれない。でも、日本語は乱れているとは判断していない。個人的には「薄くなっている」と思っている。
日本語に関する本がベストセラーになっている。方言を見直す運動というのも出てきている(んなもん、方言が「田舎臭い」と言ってるうちはまだまだ日の目は見ない)。そこに出てくる言葉は、「表情豊か」。つまり、今の「乱れた日本語」は、乱れているよりも、「表情が薄い」ことに他ならない。「乱れ」という一種のセンセーショナルに追い込むことで、見る人(または聞く人)の危機感をあおっているだけの、やっぱり「薄い」言葉なのである。少なくとも、正確な表記をしているとは思えない。
方言と言ったが、地方で話す言葉としての方言以外に、職業による話し方、というのがある。医者の話す用語も、昔はドイツ語、今は英語、らしい。よく分からないが。薬の名前は固有名詞なので仕方がない(「正露丸」を医者が処方するとは思えないし)。でも、医者風のしゃべり方というのを、テレビではよく見る。実際にはそんな話し方をしているとは思えないが(真実を知っている方は教えてください)。車掌さんの詰め所での会話は一体どうなっているのだろうか?まさかスーパーベルズみたいになっていることはないと思うが・・・・ちょっと心配。
肝心のSEの話す日本語も、元々英語圏の単語が多いだけに、聞いていると日本語には聞こえないかもしれない。「デフォルトでフラグビットを立てる」「ソートするキーを決定する」「DBにレコードをインサートする」・・・・普段から、何も考えずに話しているだけに、薄くなっている日本語に対する警戒感は、全くない(ところで、いつもIT業界だけ違うよな、という話なのだが、この手の話だけなぜか、他の業界に引けを取らないどころか、他の業界よりひどい)。
日本語が乱れている、という。異業種の人が話をすることと、東北人と九州人が話をすること。どちらも、細かいことは全くわからない。同じ土台の上で話をするためには、ある意味で「薄さ」が必要なのかもしれない。すると、この薄さは、必要悪なのか?
声の低い人は、冷静で知的なイメージを与えます。たとえば、墜落しそうな飛行機で、出川哲朗の声で「この飛行機は安心です」といったところで、あまり信頼性はない。杉本るみの声で、「この飛行機は安心です。ベルトをお確かめください」と言われると、なんだかその声に安心させられる。
甲高い声は、聞く人に緊張をしいることになる。いい例が叫ぶ声だろう。キャーっと叫び声が聞こえると、聞くひとは一瞬焦る。そして、甲高い声は耳が疲れる。
男性の声がいいのか、女性の声がいいのかといった単純な議論をしてもしかたない。野球場のアナウンスは、女性の声ばかりではないらしいし、電車の車内アナウンスだって、女性の車掌のアナウンスだってあるし、自動再生される音声だって女性の声。つまり、適材適所なんだろうと思う。
で、女性の低い声は、知的で冷静なイメージを強烈に与えることに気が付いた。小宮悦子しかり、杉本るみも。思わず、グッと来ます。で、男性の甲高い声は不快感を催すことにも気が付く。出川哲朗とか、ウド鈴木とか。人によっては古舘伊知郎もそうかもしれない(むしろ、声の高低の問題ではなく、人間が聞き取れるスピードではないという点の方が不快感が大きいかもしれないが)。
説得力のある話し方、相手に聞かせる話し方というのは、低い声で話すことなのかもしれない。もっとも、声の問題ではなく、話してる内容の問題かもしれないが。
ずっとハマっているOrangeRange。ちゃんと韻を踏むには、ちゃんとしたボキャブラリーが必要だ。特に日本語の場合は語彙が豊富なので、日本語の語彙量が多くないと、韻は踏んでいても意味が通らなくなってしまう可能性がある。ラップを作るなら、先立つものは語彙だろう。
消防士。前にもふれたこととはちょっと違う。つまり、火を消すことが仕事の彼らにとっては、「なぜ火が燃えるのか?」を知っておくことが何より(自分の命を守るためにも)必要だ。酸素と熱と可燃物(だけじゃないと思うが)があることで、炎がでる。つまり、3つのうち何かを絶つことで、火は消える。水を掛けるのは、温度を下げることと、酸素を絶つことの2つを両立させているのだろう。専門家ではないのでよく分かっていないかもしれないが。
クリーニング。衣類をきれいにする。ということは、「汚れ」とは何かを知っておく必要がある。ケチャップの汚れ、カレーの汚れ、醤油のシミ、ソースのシミ。食品以外にも、口紅、たばこ、整髪料、汗染みと、服が汚れる理由はいくらでもある。その汚れのメカニズムを知らない限り、その逆であるクリーニングはできないどころか、逆に汚れをひどくしてしまうことにもなりかねない。
医者。果たして大学で「人が拳銃で撃たれたとき」の手当法を勉強するとは思えない。「刃物で刺されたとき」の手当法を勉強するとも思えない。でも、医者は拳銃で撃たれた人も、刃物で刺された人も、手当をする。場合によっては大手術になるかもしれない。でも、医者は人の体の仕組みを理解している。だから、医者は最善を尽くそうとする。
さて、そんな基本的な能力(または知識)。SEに必要なのは、いったい何だろうか。どうすれば身に付くのだろうか。
ちなみに、修行すればSEにはなれるかもしれないが、救急病院で数年間医者の修行をすれば、免許はともかく、医者(もどき)になれるのだろうか?
ジパング16巻を買った。ふと、帯を見るとテレビ放映が決定した、とある。なぜ沈黙の艦隊ではなくジパングなのかはよく分からないが、おそらく沈黙の艦隊は映画化(もちろん実写)されるのだろうと勝手に思っている。
で、さらにブラックジャックもテレビアニメに登場するらしい・・・・が、よみうりテレビで作られているようなので、東京で見られるかどうか。とりあえず、スゴ録にデータを投入して、勝手に録画できるようにしておいた。ごく登録で勝手に録画してくれるのは、なにより快適ですな。
こういう番組を選ぶ所に個人的な趣味の偏りがあるのかもしれないが、アニメは日本の文化、という見方があるらしい。確かに、映画祭(たくさんあってその区別がよく分からないのだが)では日本のアニメ映画が賞を取っていることが多い。アニメはとりあえず何でもできる。ある意味でアナログなCGだと言ってもいい。つまり、実写にCGを加えることによるリアリティを追求するよりも、アニメですべてが仮想現実にしてしまう方が、見る側にとっても安心できるらしい。安心、と書いたが、実写にCGを合成させる部分では、どうしても実写に無理があってはいけない。もちろんCGにも無理があってはいけない。つまり、なんだか両者の妥協(そして衝突)がなければいけない。でも、アニメは100%出し切っても、全く問題はない。アニメには、そういう安心感があるのだと思う。
日本人が空想することに長けているとは思えないが・・・・おそらくは、日本人が手先が器用で、歴史的に「風合い」や「風味」といった、繊細な感覚を持っていることが、遠近感(アメコミには遠近感がないのはなぜだろう??)だとか、表情、細部にこだわった表現につながっているのだろうと思う。
目に見えるモノ。目に見えないモノ。目に見えないシステムを作ると言うこと。それは、不可視だったものを、徐々に可視化していく作業に他ならない。もちろん、クラス図をつくったところで、コードを書き上げたところで、そんなものは目に見えるモノということにはならない。一部を表記したにすぎない。言ってみれば、「りんご」を説明しろと言われたときに、「赤い」または「丸い」と言っているだけにしかすぎない。
数学的な定義とは別に、「次元」がある。つまり、目に見えないモノを具現化していくプロセスで、どんな風に断片化するか、その断片化の次元である。2次元、3次元といった世界ではなく、もっともっと複雑な次元。クラス図とシーケンス図だけでコードが書ければ、それは2次元なのかもしれないが、そんなことはまずない。おそらく2桁の次元になるのだろう。
デザイナーとか建築家といった職業も、目に見えないモノを断片化して作り上げていく。そのプロセスには代わりがない。ただ、デザイナーとSEには、根本的な違いがある。つまり、1人でできる量かどうか、である。目に見えないモノを、複数人で共有するのは大変な作業である。SEの心得といわれたら、その「共有」プロセスを重視することにあるという人も多い。情報を扱う職業なのに、情報共有を旧来の方法でしかやっていないという、紺屋の白袴の典型と言ってもいい。
見えないモノを、わかりやすく人に伝える。一般には専門職だったりする。弁護士(法律は目に見えない代表かもしれない)、デザイナー、医師(人の体は違う意味で目には見えない)。でも、なぜかSEは見えないモノを具現化する職業なのに、専門職とは見られない。世の中から見ても、見えないモノを具現化することを、単なるオタクの作業としか見られないこともある。
世の中とこの業界の次元が違うのだろうか?
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