日本の夏が蒸し暑いのは、昔からなんだろうか?
風情を失ってしまった都会の夏を、気温以上に暑く感じるのは、実は正常なことじゃないだろうか?
打ち水、風鈴、浴衣に流しそうめん。暑さを正面から涼しくするのではなく、その暑さを楽しむための工夫。
漢方薬と抗生物質の関係にも似ているような気がする。体質を変えるという治し方と、悪いところを徹底的に治す方法。
エアコンが抗生物質だとしたら、風情は漢方薬なのかもしれない。
なんと、最近は抗生物質が効かない菌というのがいるらしい。見たことはないが。肉眼でみえるようなものでもないと思うが。その場しのぎという対処療法では、限界が見えてきたのかもしれない。
そのうち、エアコンも効かないような暑さがおそってくるのかもしれない。そのとき、日本人は風情を取り戻せるだろうか?
某飲み会にて。
さすがに技術屋というか、アレゲな人々が集まる飲み会は、ちょっと大変。 アレゲを楽しんでいるというか、アレゲなことに誇りを持っているというか。 屋上ビアガーデンでノートPC開いて仕事するのもどうかと思ったが。
技術を知っていることは決して悪いことではなくて、ある程度「ハマる」 ことも大切だと思う。それが技術習得のためになるのなら。でも、なかなか どうして、ハマると、技術の周りに目がいかなくなることがある。一昔前な ら、それは「職人気質」という言葉で済むのかもしれないが、そんな簡単に 職人になれるというものでもない。
博士号取得した学生が就職できないんだとか。職人というには企業でも視野が 狭いと思われているから、だそうだ(と、読売に書いてあった)。とすると、 博士号という専門性も、アレゲという専門性(?)も、視野が狭くなること に代わりはない、という解釈もできる。広い視野を犠牲にした専門性、とい ってもいいだろう。
もちろん、博士号なんてもってないし、アレゲ度も低いにもかかわらず、
視野が狭い自分にとってはいずれにしても専門性があることはうらやまし
いのだが。
前回は、いわゆる109キーの話。
世の中には、リアルタイム字幕を入力する職業というのがあるらしい。 そして、彼らが使っているのが、ステノワードと呼ばれるキーボード なんだそうだ。
http://www.speed-wp.co.jp/stenoword/index.html
見てみると、キーが10個しかない。つまり、押し方の組み合わせで 入力が決まることになる。すると、入力できる組み合わせは、10の 階乗なので、3628800通り。ひらがな50音に濁点を加えたとして、 80文字。漢字変換を自動でやってくれるとしたら、どんなにがんば っても200文字くらいしか入力しない。ということは、定型文パターン がたくさんあるということなのだろう。
確かに、素早くストレスなく入力するためには、こういうのは目的 に合致する。そして、ちょっとだけほしい(残念ながら、上記のペ ージには、販売価格がいくらなのか、書いていない。googleで見て も、やっぱり書いていない)。
そして、実際に使っている自分の姿を想像してみた。10個というこ とは、どう考えても最大で6つ以上のキーを同時に押すことは現実的 ではない。とすると、上下に手を動かさなくていい分だけ、疲れる こともなさそうだ。
コラムを書いたり、メールを書いたり、会議の議事録を書く分には、 すごい性能を発揮しそうだ。ただし、そのキー操作をマスターした あとの話だが。それまでは、おそらく109キーボードの方が速いに 違いない。
そして気が付いた。キーパンチャではない。ということは、必然的 に資料の絵を作ったり、罫線を引いたり、入力の周りの部分がある ことに。確かに、入力するというのは確実にPCに向かっている時間 の大半をしめている。一番ウエイトを占める部分が効率化されるの だから、それは喜ぶべきことだろうが、それが高速になったとして も、考える時間が短縮されない限り、あまりうれしいことではない ことに。
問題は、入力スピードではなく、きちんと物事を考える力なのかも
しれない。
氷山は、その一角しか水面上に見えず、それを支えている巨大な氷塊がある。 それをたとえて、氷山の一角という。
なにかトラブルが発生する。それは表面事象でしかない。トラブルが発生すると 横並びと再発防止というのは定石だが、表面事象を解消したところで、再発防止 になるか、といわれると、それはできていない。つまり、氷山の一角を刈り取った からといって、氷山がなくなったか、という議論に似ている。
表面的な事象を解消したことで、トラブルが解消したと思っている 場合は、指摘されるまで愚行に気が付かないことが多い。つまり、 木を見て森に目が届いていないことになる。それは、トラブルの渦中に 自分がいる場合、特に顕著に表れる。
いついかなる時でも、冷静沈着に、事象を追いかけて、水中に隠れている 氷山を探さなければならない。しかし、それが自分が悪かったかのように 思える瞬間がある。トラブルの原因は自分にあるのではないかと思える 瞬間がある。そういうときに限って、木を見て森を見ていない。氷山は 水中に巨大な固まりとなって隠れている。でも、自分が悪者ではないかという 不安を取り除くには、それが一番簡単で、一番安全な解決策であることも 間違いない。
すると、あとでタイタニック号の悲劇を味わうことになる。回避するには、 それが頭でわかっていることというのが、簡単な解決策なんだろうが、そんな 解決策が頭にでているところで不安はぬぐえない。まさに氷山の一角でしか ない。水中の氷塊は、「まずはシステムを正常に戻すことが先決だ」と、 全員が一丸となることしかない。謝ったら動き出すシステムはどこにもない。
そんなことを、今日の打ち合わせで指摘しなければならないのは、ちょっと
悲しい。
どうみても高校生、いや中学生くらいのガキがたばこを吸っているのは、端で見てても「背伸びしている」痛さがある。もっとも、注意しても逆に刺されたりするかもしれない世の中だから、痛々しさを感じるだけで、注意することはないのだが。同じような感情を感じることは、意外とよくある。同じく、どう見ても大学生なのに、外車に乗っているとか(親の金なんじゃないのか??おぼっちゃま は違うな。)、夜中にサングラスをかけて歩いてるとか(見えてるのか?)不良会社員が日本橋のデパートで買い物をしてみる(どう考えても場違い)とか、葉巻を吸っているとか(ゴッドファザーみたいな人なら、まだカッコがつくのだが)。
そんな一つに、万年筆を使うことがある。細い万年筆なら、使うこともあるだろう。でも、普段使っている万年筆は、葉巻みたいに太い(6/12の日記参照)。ということは、やっぱり、見かけ30歳(以上)、実年齢20台後半の自分には、少々似合わないのではないか、という不安がある。勝手な想像をふくらませるなら、似合うのはイエローキャブの社長風の人。
その不安が増長する理由は、誰からも「万年筆ですか、珍しいですね」という声をかけてもらえないことにある。会議中にしか使わないペンだから、会議中にそんなことを言われるのも困るが、終わった後に気が付いてくれる人はいない。会議の最中に資料にサインをすることもある。使っている理由は二つ。1つは、自分の署名であることの確認。ボールペンではいけない。間違いなく自分が確認したという無言の自分へのプレッシャーでもある。そして、もう一つの理由が、二度と万年筆のインクをすべて蒸発させてしまうという愚行をしないための再発防止でもある。もっといえば、この業界にいること、全てがデジタルで解決する、という勝手な思いこみに対するアンチテーゼでもある。もちろん、自分も含める以上に周囲に対して。
実は、サインするときは、万年筆を裏返すことがある。通常の使い方からすると、表面が上に来るように持つのが普通だと思うが、裏返すと表面を使うときにくらべて、線が細くなる。なので、狭いエリアに書くときには裏返して書くとよいのだが、これに対してもやっぱりコメントがない。ひょっとしたら常識なのだろうか。実は、この「裏返すと細字になる」というのは大橋堂で教わってきたのだが(だから、triviaでも何でもなさそうだ)。
そういえば、中学校の時には、硬筆の書写といえば、デスクペンなるものをつかっていたことを思い出した。なぜか、ペン先と反対側の軸が細くなっていて、なんだか執事が使ってそうな、坊主頭の中学生には不釣り合いなペンだと思ったことがある。あれも万年筆だった。なぜあの形状になったのか、きっと意味があると思うが、なぜ先生が普通の軸の万年筆ではなく、後ろが細くなっているデスクペンを使わせようとしたのか、今となっては理由はわからないが、やっぱりデスクペンも「背伸び」をしているようで、今考えても、ちょっと痛々しい。
既製品の3色ボールペンではなく、万年筆で文字を書く。いつになったら、背伸びしないで使える日が来るのだろうか。
日本語には、外来語はカタカナで書くという決まりがある。それが日本語を変化させている。つまり、外の文化をそのまま受け入れるということが、言語から始まっているような気がしている。
中国語のコカコーラは「口可口楽」だそうだ。表音文字であるカタカナにくらべて、表意文字である漢字を使うのは、なかなか風情がある。コーラの例は、なんだか風情がある。
なんでも、「オンライン」を日本語化することができなかったらしい。回線接続中という回線の物理的状態ではなく、それは機能が動くときの裏側であり、普段は見えていないものだから、という意味だと勝手に解釈している。
言うなれば、回線接続状態というより、セッションが認識できる状態にあればすべてオンラインなのだから、思い切って「呼中」というのがいいだろうと思っていたら、若手に「呼」って何ですか?と聞かれてしまった。
カタカナ語が入ってくる以上に、ひょっとしたら日本語が退化しているのか、それともこの業界でトシをとりすぎてしまったのか・・・・
現在、小山を通過して、仙台に向かってひたすら走行中の新幹線の車中。昨日買ったオレンジレンジのCDを聞きながら、ガキの騒音を聞かないふりをして、ブログを書こうとしている。
高速移動中というのは、眠くなるのが人間の本質のようで、電車、バス、飛行機、いずれにしても高速で移動すると眠くなる。でも、21世紀の子供にはこの新幹線の移動は高速ではないらしく、またちょうど昼飯時と言うこともあって、ガキの雄叫びが響く。大人も注意しない。おそらく、飯を食わせて30分もすれば眠ってしまうことを期待しているのだろう。21世紀の子供であっても、眠気には勝てない・・・・というより、親の方が勝てないような気がするが。
と、後ろで子供が泣き始めた。疲れて眠らせる作戦に出たに違いない。でも、隣で寝ているねーちゃん(なんと、俺が来るまで2つの座席を占領していた)も目が覚めたようだ。今度は別の子供が泣き始めた。禁煙車、女性専用車ができる世の中、是非とも「子供連れ専用車両」とか「子供禁止車両」を検討してほしいと思っているのは、まだ独身だからでしょうか。
で、休み中は何をしようかと考えた。前々から入っていた予定をすべて電子手帳に入れてみた。普段の仕事にくらべて、ずいぶんと余裕のある予定表になった。でも、オレは休みに行くのであって、予定表を入れないといけないというのはたんなる日常の延長でしかないのだと自分に言い聞かせて、とにもかくにも、「何もしない」ことを・・・あ、今宇都宮を通過しました・・・楽しむことにした。
別のガキが泣き出した。ただ、オレの後ろからだけしか聞こえてこない。前に座っている子供は、おとなしく電車に乗っているのか、または既に眠ってしまっているのだろう。「最近のガキは」というつもりはない。ただ、デリカシーのない親と、その親が育てている子供の方が、まっとうな子育てをしている親子よりも、極端に目立つというだけである。十把一絡げ(じっぱひとからげ、と読みます)な議論は好きではないが、限定的議論で幅を狭くしてしまうのもあまり好きではないのだが。
車窓から普通の田園風景が見えてきた。トウモロコシだろうか、穂がでて、実がなっているのが遠目にもわかる。稲も今年は順調に生育しているように見える。この暑さは、人間だけが迷惑だと思っているだけで、植物には思いっきり成長できるいい傾向なのかもしれない。秋にはたくさんの味覚が出そろうことだろう。もっとも、東京では旬の食材といっても、本当にうまいものは食えないのだが(余談だが、東京に出てきて、何がマズイって、水と生魚。焼けばまだ食えるが、東京で生魚は食えない。いまでも。)。
ガキが泣かなくなった。車掌が改札に来た。音楽を聴いてるから聞こえないだけかもしれないが、昼飯を食って、眠気に勝てなくなった子供(またはその相手に疲れた親)が出てきているに違いない。
高架を走っている新幹線より高いものが、山と送電線の鉄塔くらいになってきた。新幹線も那須塩原を通過している。長い冬が終わり、東北の短い夏を楽しむための夏祭りが、仙台七夕で終わろうとしている。これで甲子園で地元の高校が負けてしまうと、東北は秋を迎え、芋煮会のシーズンとなる。本当に夏は短い。それは気温だけの問題ではなく、人々が「夏のイベントが終わった」ことを、夏の終わりだと感じているからなんだと思う。今年の高校野球は強いらしいから、少なくとも宮城の夏は、例年よりもちょっとだけ長いに違いない。いや、ひょっとすると、球児が帰ってくることには、仙台は秋を迎えているのかもしれない。それくらい、東北の夏は、東京の夏に比べて短い。
新幹線はトンネルを何度もくぐっている。そのたびに、気圧が変わるのがわかる。いまさっき、新白河を通過した。あと40分たらずで、目的地の仙台に到着する。車窓を見ようとしても、トンネルに阻まれてよく見えない。逆に言えば山がちの地形を通過していると言うことなのだろう。
車窓から見える景色は青空が続いている。雲一つないいい天気のまま、仙台まで移動するのは珍しい。たいてい、どこかで曇っているか、雨が降っているものだが。
キーをたたいていても、だんだん眠くなってきた。ガキより先に寝てなるものかと思ったが、ブログを書いていたら、そんな時間もなくなってきた(ブログが怠け気味な状況を考えると、それはそれでいいのかもしれない)。新幹線は郡山を通過した。高架を快調にとばしている。その距離に比例して、眠気が襲ってきた。あと30分で仙台に到着。寝る時間は残っていない。
知っている人、という面積があるとする。知っている人はここでは「仕事上、簡単に問い合わせができる、顔と名前が双方とも一致している人」と考える。自分が仕事をしている範囲は最低限必要だと思うが、ではその外側はどうか。あの部署には誰がいて、何の仕事をしているのか。それを知っているかどうかで、意外と自分の仕事上の問題が解決したり、新しいネタが出てきたりする。そこには、最低限の面積には存在しない部分がある。直接の仕事には関係ないかもしれないが、それを無駄だと切り捨ててはいけない。同期ならわかる、というのもあまりおもしろくない。部署を超えて、肩書きを超えて、いろんな人を知っていることは、無駄なように見えて、自分にとっても相手にとってもプラスになることがある。
それは社内だけの話ではない。社外ももちろん同じ。知っている人が広ければ広いほど、自分の知識のエリアが広がる。直接のエリアではなく、「この人に聞けばわかる」というリンクができる。自分で全てを知っている必要がない。もちろん、聞かれたときには答える用意をしておかなければならないが、必要なのはそのリンクなのであって、互いに補完してくれることが重要なのだと思う。タテの関係でもなく、ヨコの関係でもなく、まさに縦横無尽にそのリンクがあることは、何より心強いことだし、周りから見て非常に頼もしい。誤解を恐れずに言うなら、「怖い」。
人脈、ヒューマンネットワーク、と、その意味を説明してくれる言葉は多い。が、なんとなく自分には重すぎるというか、堅すぎるというか、身の丈に合っていないように思える。相手が自分に対してどれだけの信頼をしてくれているのか、自分が相手にどれだけのことをするのか、というのがポイントなのであって、どうも言葉だけをみるとドライな関係性を説明しているだけのように思える。
部署も肩書きも違うけれど、遊びに行けば話を聞いてくれるような、話をしてもらえるような、タテ×ヨコではなく、縦横無尽にリンクを持っている人は、どれだけいるだろうか。そして、どれだけ手早く幅広く作れるだろうか。
テスト
NKF1.9未満でGNSのバージョン3.01を使う場合に、RSSフィードの文字コード宣言と中身の文字コードが一致しない問題を解決するために、ちょっと改造を入れてみた。とはいってもフラグをconfigにおいて、それを判別するようにしただけなのだが。ファイルのダウンロードができるようにしておいた。
gns_patch_sugaken_20040810.zip
更新履歴
・作成 2004/08/10 sugaken (sugaken @(at) sugaken .(dot) com) とりあえず作成してみた。
このファイルの構成は以下の通り。
0:はじめに
1:このファイルでできること
2:ファイルの構成
3:使用方法
4:確認方法
本ファイルの使用に当たっては、もとのGNSの使用許諾(http://gorry.haun.org/gns/help/08000_etc.html#copyright)に従います。
また、本ファイルを使用したことによる損害(金銭的または物理的損害の他、使用したことによる一切の損害)には、sugaken (sugaken @(at) sugaken .(dot) com)は一切の責任を負わないこととします。すべて自己責任で利用してください。
また、本ファイルの使用方法などの質問をGORRYさんに問い合わせるのは絶対に止めてください。
sugaken (sugaken @(at) sugaken .(dot) com)への連絡は、http://www.sugaken.com/にかかれています。メールより掲示板をつかってください。
GNSのNKFバージョンが2.0未満の時は、RSSフィードに以下の問題が発生します。
つまり、このパッチは、以下の全ての条件に当てはまる人だけが使用するといいでしょう。
1については個人の好みですが、2については、GNSがインストールされたディレクトリのchkpath.cgi(http://gorry.haun.org/gns/help/03000_www.html#check)を参照し、NKFのバージョンを確認してから使用してください。バージョンがわからない場合は使用しない方がいいでしょう。
このファイル群を使うことで、RSSフィードの宣言をJISに変更し、さらに本文の文字コードもJISになります。これで、RSSを使用するときもエラーにならずに使用することができるようになります。
ファイルは以下の通りです。ファイルはすべてEUCコードでかかれています。
まず、RSSフィードの文字化け以外に、GNSに問題がないことを確認してください。RSSフィードの文字化けは、実際にRSSフィードをブラウザに指定したときに、エラー画面に遷移することを指します。
文字化けが発生していない場合、このファイルを使用する必要はありません。文字化けが発生している場合、以下の通りに使用します。
あとは、普通にGNSで日記をつけてみます。その後、RSSフィードをブラウザで指定してみて、通常のXML表示画面になれば、成功です。参考までに、このファイルを使用して作成したRSSフィードは、http://www.sugaken.com/note/index.rdf にあります。
ふと、JISでRSSフィードを作成できるようにしてみたものの、それが本当に正しいのかどうか、ちょっと不安になって調べてみた。
実体としてXMLなのだから、文字コードの宣言と、本文中の文字コードが一致していれば、読めないことはない(少なくとも、そのエンコーダが存在する限りは)。googleで調べてみたが、RSSフィードの文字コードをどうすべきか、というサイトがなかった。強いて言えば、「RSSは、基本的にUTF8(unicode)形式でサービスされているため」という記述があった程度。ということは、JISで書いても、目くじらたてて怒られる、ということはどうもなさそうだ。
現在利用しているのがarena.ne.jpのレンタルサーバなので、NKFのバージョンに関しては何も言えないので、とりあえずJISに変更することで乗り切ることは問題なさそうだ。
では、実際にJISでかかれているRSSフィードはあるのかどうか。これも調べてみた。意外にgoogleではRSSフィードの検索が難しい。検索の単語が悪かったのだろうか。調べてみたら、慶応大学の学生さんらしき人のRSSフィードの文字コードがJISになっていた。通常、BLOGサイトあたりをつかっていれば、きちんとUTF-8でかかれているのだろうから、JISで記述するというのは少数派なんだろうが、XMLの解釈という問題からいえば、それほどの問題ではないという解釈をするに至った(ちなみに、SleipnirのRSSリーダplug-inをつかってみたが、JISコードでもちゃんと認識できた)。
いつの日か、UTF-8でRSSフィードが書ける日が来るまでの、逃げの手段として提供することにしよう。
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この日記は、GNSを使用して作成されています。