紅白の再放送をしていたので、思わず見てしまった。たしか、大晦日はボブサップを見ていた。なので、初見ではあった。が、曲の構成に違和感を感じるような音楽的センスは持ち合わせていないので、紅白のお祭り騒ぎを冷静に見ていた。もう大晦日ではないのだから。
細川たかしが出てきた。着物の裾に「たかし」と書いてある。しかも立派な書体だ。誰かに書いてもらったのだと思うが、誰が「ひろし」と間違うのだろうか。だれが「ジョージ」と間違うのだろうか。
演歌の世界は奥が深い。
北国の人にとって、「一番寒いのは2月」というのは、明文化されていなくても実感している例としては代表的なものだと思う。そして、「2月が28日までしかないのは、寒さを短く感じるようにするため」といわれると、そこに何の信頼性もない(だって、オーストラリアは真夏でしょ?)のに、思わず信じてしまいたくなる。
ガキの頃の仙台は、東北でも温暖な気候とはいえ、それでも寒かった。リンゴとかミカンなんかは、一日中外に出しておいた方が、よく冷えてうまかった。どの地域でもあることだが、お調子者は冬でも半ズボンだった。それが意地っ張りではなく、単純に偉そうに見えた(今考えると長期間のガマン大会みたいなもんか?)。
春一番が吹いた、らしい。どの風が春一番なのやら、さっぱりわからなかったが、2月に感じる春は、ちょっと違和感がある。ちょうど、入社のために上京したときに、4月に桜が咲いているのを見て、違和感を感じたのと同じように。
もし、日本が南北ではなく東西に長かったら、一体どうなっていただろう?
「くるり」の「ロックンロール」を買った。その中の「さよなら春の日」が本当に気に入ってしまった。
卒業式で歌うには、多少武骨な歌詞にも思える。武骨なんだけど、それでいて冷たさや割り切りを感じない。キレイな言葉を並べるよりも、この方が、「うまくいえない別れの言葉」を表現しているようにも見える。昨日、春を2月に感じる違和感について書いたけれど、そういえば卒業式、なんて言葉を聞き始めるのも、やはりこの時期なのかもしれない。
すでに「新しい世界」を経験することが少なくなってきた自分にとって、「入学」や「卒業」で気持ちが軽くなるような春の季節を迎えている人を見ると、自分まで気持ちが軽くなるような気がするのは、浮かれすぎだろうか。
紳士のスポーツ、という言葉があります。野球はそういわれてしますし、サッカーも(発祥はどうあれ)そうなりつつあるような気がします。国技といわれる相撲だって、やっぱり紳士という西洋風な言葉よりは神聖なる土俵と、神である横綱のを頂点とした世界なのかもしれません。
では、淑女のスポーツがあるかどうかは別の問題として、本当に紳士のスポーツの実況は紳士に実況しているんでしょうか?大声で絶叫してみたり、連呼してみたり。紳士のスポーツというイメージからは、少しかけ離れた気がします。野球やサッカーは、単独中継となることが多いので、なかなか他局で見るというわけにも行きません。つまり、視聴者は、「ある意味拷問」にかけられているとも、考えることができます。
いや、逆に、オレの「紳士のスポーツ」に対するイメージが世の中とズレているのかもしれません。そう、本当は、ああいう絶叫が「紳士」なのであって、ジェントルマンなのだ、と思いました。でも、これでは考えがまとまりません。
おとなしく、「貨客船万景峰号」と「高速増殖炉もんじゅ」が正しくいえるように、アナウンサーのみなさんに練習してもらうのが正しいのかもしれません。「ゴール」の絶叫を23回も聞かされるよりは。
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