「のび太」といってわからない人はほとんどいないでしょう。「スネ夫」と言ってわからない人も同様です。スネ夫は「骨川スネ夫」です。のび太は「野比のび太」です。しずかちゃんは「源しずか」です。ジャイアンは「剛田 剛」なのですが、なぜ、「ジャイ子」は「剛田 ジャイ子」なんでしょう・・・
アニメオタクに言わせると、その辺が「奥深さ」なんでしょうか。それとも、深く考えすぎなんでしょうか。
ちなみに、漫画家になりたいジャイ子のペンネームは「クリスチーネ剛田」だそうです。まず先に「剛田」をどうにかした方がよいと思うのは、大きなお世話でしょうか。
担当に仙台の土産(もちろん萩の月)を持って行ったら、「チョコレートクリームは?」と聞かれました。姉妹品の「萩の調(しらべ)」です。
仙台人に共通の認識として、萩の調は「邪道」であり、「買ってはいけない」ものだと思っていました。先ほど、調べてみたら、やっぱり見つかりました。典型的宮城人:http://www.linkclub.or.jp/~keiko-n/miyagi.htmlちなみに、ほとんど全てに該当してしまいました。
郷土愛、とかいう大きなモノではありませんが、自分が住んでいた町だから愛着がある、というレベルでしょうか。
ちなみに、萩の月は全国発送も受け付けているそうです。自分で買って食うのもおいしいかもしれません。http://www.sanzen.co.jp/home.html
また、トリビアですが、「宮城県の花」は宮城野萩という萩です。宮城野は、仙台駅の東側一帯を指しています(今の宮城野区より多少狭いですが)。でも、萩の月は「宮城野の 思い出胸に 萩の月」といいながら、実際には仙台市より遙か南、大河原町で作っています。なんだか、ダマされた気分です。
「エンタの神様」を見ていて、ふと、感じました。
「ものまね」って、なぜ笑えるんでしょう?別にその人に似ていると言うだけですよね。その人の特徴を的確につかんでマネをするだけ。でも、それがなぜか人の心をグッとつかんでくれます。
そして、タバコを一服つけた瞬間、ひらめきました。
モノマネは、「誰かの日常」を縮図にして見せてくれることで、「あぁ、そんな事ってあるよねぇ」と笑えるのではないかと思うのです。コージー富田は好例でしょう。
そして、ちょっと深く考えてみると、「お笑い」は、モノマネに限らない、日常の些細な出来事を切り出していることに気がつきました。もっと極端に言えば、「100人に聞きました」の「あるある」にも似た、普段気にもかけていない日常の縮図に、自分の姿を投影して笑っているのではないかとも思うのです。
テツandトモをみても、つぶやきシローを見ても、中川家をみても、そんな「普段は気にとめない日常の縮図」が笑いになっています。そして、彼らに共通するのは、その縮図を投影するだけで、それ以上でもそれ以下でもないということです。逆に言えば、日常の縮図をふくらませたり、縮めたりすることには意味がないということなのでしょう。日常の縮図は、それだけで、それが一番おもしろいのでしょう。
ネタになっているホンモノを見ても笑えないことからみても、あきらかですね。タモリの真似をしているコージー富田はそれだけで笑えるのに、タモリ本人がでているだけでは笑えないのと同じように。
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