あるのか、本当に。全くありませんでした。忙中忙しかありませんでした。イヤ全く。オレにとっては悪夢のような日々でした。はい。でも、昨日は本人比72.3%くらいの性能しか出ませんでしたが、飲みに出かけました。いや、ウーロン茶なんですが。悪かったな。のめなくて。なんだかよくわからないけど、オレはアナリストになっていた。分析するのを職業にしつつある(そしてそれで苦しみつつある)ので、できればこういう苦しみを何とかしたい。ということで、来週は品質分析の研修に出かけます。 最近、なかなかブログもかけていないので、なんとかします。はい。
東プレの無接点キーボードがほしくなってきた。給料でたら買おうかな。
今日は久しぶりに早く帰ってこれた。
じっくりとブログを書き、早めに寝ます。はい。
コミュニケーションには濃度があるような気がする。全くの他人から、奥さん(オレにとっては未来の話だが・・・ほっといてくれ)まで。自分にとってはかけがえのない親友であっても、実は相手にとっては単なる知り合いでしかない、というのもあながち極端な例ではないような気がする。特に恋愛では切実な問題だったりする。経験はあんまりないけど・・・・これも、ほっといてくれ。
相手の感情をすべて自分が知ることができない。それは自明の問題。だからこそ、世の中は成り立っていると逆説的に考えることもできる。もっと雑な言い方をすれば、恋愛小説はこの自明の問題の上に成り立っていると言っていい。少女マンガならなおさらだ(って、これは思いこみかもしれないが)。その感情の微妙な揺れ動きに共感できるかどうか、そこに恋愛小説の醍醐味があると言ってもいい。
今度は相手の感情を害さないように、自分の感情をコントロールすることができるか、という次の問題が出てくる。相手の感情を理解することが完全にはできなくても、ある程度ならできるのではないか。そういう問題になる。でも、これもなかなか難しい。なぜなら、理解するのはあくまでも他者であって、その仕組みを理解するのも他者である。完全にコピーできるものではない。ということで、やっぱり不完全性の上に成り立っている。どこをとっても自明の問題、なのだろう。
あと数十年したら、この手の問題も解決できる技術が出てくるのだろうか。出てきたところで、本当に豊かな生活が送れるのだろうか。なんとなく、わからないことがある方が、人間は幸せなような気がするが。
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