きっと冷え性なんです。誰かに助けてもらわないと冷え性が治らない人なんです。そこで、他人に優しくするためには、自分が優しくならなければならないのです。
いつにもまして切れがないボケですね。いつもですが。
かけもち:出前が持つのは岡持、好きな人に焼くのはやきもち、そして正月に飾るのは鏡餅ですが、プロジェクトを掛け持つと、自分が今なんの仕事をしているのかが見えてこなくて困る。うれしくない。
書きたいときにあなたはいない:大岡信の文章だったか、本当に書きたいことを一旦押し殺して、それでもわき上がってくる書きたいという衝動を押し殺してもなお、その力に反発してわき上がってくる衝動が、本当の名文なのだとしたら、この日記はどれほどの名文なのだろう。少なくとも、書きたいという衝動がないまま、なんとなしに書いている。それは徒然草の「そこはかとなく書きつくる」を引くまでもなく、辰野和男の「ネタがないときに、振り絞って書く」という意味の文章を引くまでもなく、書いていることに意味があるのかどうかも考えずに、キーボードをたたいている。名文であろうとは思わないが、読みたくない文章だったと後悔させたくはない。たかが日記だが。
昔の思い出:ふと、昔の日記なり、なにか思い出となる物を見ることがある。寂しがり屋なのかもしれない。現在置かれている環境に不安を抱いていることの証拠かもしれない。弱虫なのかもしれない。高校入学当時も、大学入学当時もそうだった。入社後はそういう記憶もないのだが。自分は不安になると、過去の思い出(栄光といえないところが歯がゆいが)に戻ろうとする。が、失われた時間は帰ってこないし、戻ったときの時間も、自分を成長させてはくれない。
一人寂しく酒を飲む:演歌ではない。自分が誰かに必要とされていること、そして自分が誰かの役に立っていること、一歩踏み出せば自分が欠かせない人間であることというのは、その人に与えられた最大限の賛辞ではないかと思う。だれにもかまってくれない、電話もくれない、メールもない。そんな環境に自分は慣れてしまった。引きこもりではない。寂しがりやという言葉が適切かどうかもわからない。一人でいる時間が長くなってきた。それはそれで気楽かもしれないが、一人というのがあまりにもむなしく思える瞬間がある。今である。
物事を裏から突き破ると言うこと:某氏が俺を評してそんなことを言っていた。それが正しいのかどうかはわからないが、少なくとも彼が言ったという点において、彼は俺の一部としてそう言う側面を見ていると言うことだけは言えるのだろう。
ふと思うことあって音楽を聴く:某氏(たぶん間違っていなければ俺の中学の同期なのだが)がテクニカルなんとかという肩書きで参加したCDを聞いた。正確には、買ったCDにそいつの名前があったといった方が正しい。気がついたのはしばらく経ってからだが。気がつく前と気がついた後で、イメージが変わった。俺にはできないという尊敬の意味と、そいつが音楽の方向に進んだという驚きと。あれから9年くらい経っていることになる。彼が俺のことをどう思っているかは知らないし、そもそも知っているかどうかもわからない。俺もふと気がついてそう思っただけの話である。同期ってのは恐ろしい。
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この日記は、GNSを使用して作成されています。