暖かさ:寒くなった。PCの発熱量があるので、そこらの寒さなら、PCを入れっぱなしにすれば、何とかなるのだ。そして、廊下に出る。当たり前だが、寒い。そこには、単なる気温だけではなく、本当に寒い空気が流れている。それは、家庭の温かさなのかもしれない。オヤジが家を建てたとき、ふと居間に寝ころんで、「俺がほしかったのはこれだったんだよ」とつぶやいたことを思い出した。求めていたのは、その空間でも、その建物でもなく、その中に生まれてくるその温かさだったのかもしれない。
そして僕らは:旅に出るのだろうか。世の中にタイムマシンでもできない限り、松尾芭蕉のいう「時は百代の過客にして、行き交ふ人もまた旅人なり」という言葉が、ちょっとしんみり感じられるのは、寒さのせいだけではない。
恋は:遠い日の花火ではない。
思いこみ:前にも書いたかもしれないが、ネタは使い回さないと。恋は遠い日の花火ではない。遠い夏の日だと思いこんでいた。遠い日というだけらしい。その言葉が、自分のものとなって受け入れられるときがきた。
寂しさ:寂寥というか、寂寞というか、この「寂」という字が、深みを帯びて、そして幅を持ってきた。
つまるところ:寂しいだけなんだけどね。
心を満たす:ものがないというべきなのか。物欲だけで満たされる時代ではないという。癒しが求められる時代だという。それは、世の中にあふれてしまった「もの」からの逃避行動なのかもしれない。「もの」による障害を受けてしまっているからなのかもしれない。いずれにしても、なんと言うべきか、満たされない心がそこにあって、そしれ自分では何を持って埋められるのかもよくわからない。甘いものがほしいときは甘いものを食べればよい。腹が減ったら何か食えばよい。でも、心尾を満たすには何をすべきか、答えは見つからない。
体調:崩してしまった。胃と腸が完全にやられてしまった。胃の痛みをこらえていたら、大腸までおかしくなったらしい。胃の痛みは結構強烈かと思ったら、思ったよりも痛みはなく、でもやっぱり胃袋は自分自身を消化しようとしていて、貧血気味である。何をするにもおっくうに感じてしまう。感じるというのは心の問題だけで、体調とは全く無関係だと思うのだけど。歯切れのよい(と思いこんでいる)ボケと、そのボケを受けた鮮やかな(と思いこんでいる)ボケタオシ、痛烈な(と思いこんでいる)社会批判が出てこないのは、体調のせいである。
崩れる:夏目漱石は、初期の頃は「坊ちゃん」にみられるように、明朗快活な感じだが、胃を患い、そして弟子である芥川が自ら死を選んだことで、夢十夜にみられる内面描写を重視した作品が出てくる。自分は小説家でも、作家でもない。不良会社員なのだが。
人の話を聞かない人:新宿のある電気屋にて。人の話を聞かない営業は営業としてどうなのか。個人的にはかなり不快。知ってるかと思って専門的なことを聞くとフイと向こうを向かれて他の客の対応に当たられた日には、もう二度と行きません。
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